五十本(c)
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夜明けまえ、僕は最後の一本を研ぎ終わった。
ふう、と息を吐いて額の汗をぬぐう。

「さすがに……、すこし、疲れました」

時計を見ると、三時三十分だった。
コザトさんが包丁を取りにくる五時までには、まだ時間がある。

「君はもう、休みなさい。彼女との応対は、私がやりますから」

クゼさんがそう言って、僕がいつも座っている店番用の椅子に腰をかけた。

「そうですか? ……では、くれぐれもコザトさんに、失礼のないようにお願いしますね」
「わかっています。君のした仕事を無駄にするようなことはしませんよ」

僕はクゼさんの言葉に甘えて、奥の部屋で仮眠をとることにした。
よろめきながらも座敷の上に布団を敷いて、横になる。

目を閉じた時間はまるで一瞬のように感じたけれど、つぎに目覚めたのは、店にコザトさんがやってきたころだった。

「あの……、包丁、できましたか」
「もちろんですよ。五十本、すべて研いであります」

そんな声が聞こえてきたので、僕はそっと襖を開けて、店内のようすをのぞき見た。

コザトさんはボストンバッグの中身を確認したとたん、それまで険しかった表情を、たちまち安堵(あんど)のものへと変化させた。
彼女はこわばらせていた肩から、ふっとちからを抜くと、おどろくほど素直に、ぺこりと頭を下げた。

「ありがとうございます……! ほんとうに助かりました……!」

顔を上げたコザトさんは、まるでいまにも泣きそうな顔で笑った。

「じつは今日、ハグルマ町で料理大会があるんです。
でも、三日まえに主催のかたが体調をくずされて、急きょ私が代わりにとり仕切ることになって……、
あれこれあわただしく準備をしていたんですが、きのう、町で保管していた包丁がずっと手入れされていないことに気づいたんです。
五十本なんて、すぐに仕入れることもできないし、途方に暮れていたら、町の人にここの刃物屋さんはうでがいい、って教えてもらって……、
でも、刃物屋さんは人のいいかただとも聞いたから、断りづらくならないように、きのうはわざと失礼な態度をとってしまいました。
申しわけありませんでした……!」

コザトさんはもう一度、深々(ふかぶか)と頭を下げると、クゼさんに茶封筒を差し出した。

「こちらがお代金です。それと……」

コザトさんは、ずっと抱(かか)えていた風呂敷包みを机のうえに置いた。

「今日、刃物屋さんたちのためにお弁当を作ってきました。お口に合えばいいんですが……」

クゼさんはおどろいたように、その風呂敷包みを見下ろした。
それからしばらく考えたようだったけれど、やがて、両手でそれを自分のほうへと引き寄せた。

「……わざわざ、お気づかいをありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとうございました! ……あっ! もう時間がないので、私はこれで失礼します……!」

よいしょ、とボストンバッグを両手で引っ張りあげるコザトさんに、

「……お持ちしましょうか?」

クゼさんが声をかけた。
そんなクゼさんに、コザトさんはふり返ってほほ笑んだ。

「いいえ、ぜんぜん重くないですから! ……また後日、改めてお礼にうかがいますね!」

コザトさんが店から出て行ったあとも、クゼさんは店の入り口をずっと見ていた。

「……やってみないとわからないことも、あるでしょう?」

僕がうしろからクゼさんに声をかけると、クゼさんはふり返った。

「……どうやらそのようですね。君はこうなると、予測していたんですか?」
「さあ、それはどうでしょうか」
「私が彼女の内情を察することができなかったのは、……私が人間じゃあないからでしょうか」

まさかクゼさんがそんなことを気にしているとは思わなかったので、僕はすこしだけおどろいた。
でも、なんだか急におかしくなって、僕は笑いながら言った。

「何を言っているんですか。僕のために怒ってくれたクゼさんは、どんな人間よりも、人間らしかったですよ?」



THE END
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2015年02月09日 擱筆
2017年04月10日 表記ゆれの修正


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