古い民家と畑の風景が広がるのどかな田舎町、「ハグルマ町」。
このハグルマ町の片すみにある刃物屋で僕は、研ぎ師兼、店番として働いていた。
遠い昔から代々受け継がれてきたこの店は、古い建物特有のにおいがして、壁の色もだいぶ色あせている。
おまけに来客もほとんどないような店だけれど、僕はこの店で過ごす時間が好きだった。
ある春の日の午前。
「クゼさん、たまには掃除を手伝ってくださいよ」
僕がそう声をかけると、椅子に腰をかけたクゼさんは、立ち上がるそぶりも見せずにほほ笑んだ。
「おや、万にひとつでも私に傷がついたなら、君の仕事が増えるだけだと思いますが?」
「掃除をしたくらいで傷なんてつきません。ほら、足もとを掃きますよ」
クゼさんは灰青色の髪を持ち、いつも燕尾服を着ている、変わった男の人だ。
……いや、厳密にいうと、彼は「人」ではない。
信じがたい話だけれど、彼の正体は「灰青色の牛刀」で、いろいろあってこの刃物屋に居ついているのだった。
僕がクゼさんの足もとをほうきで掃いていると、ひとりの少年が店へと入ってきた。
「あの……、ここが刃物屋さんで、合っていますか?」
少年は全体的に色素の薄い出で立ちで、手には白杖(はくじょう)を持っている。
どこか不安げに店のようすをうかがっているけれど、僕と目が合うことはない。どうやら目が見えていないらしかった。
僕はほうきをクゼさんに手渡し、少年のもとへと向かった。
「ええ、そうです。そしてこの僕が、この店の研ぎ師です。どうかしましたか?」
少年は僕の声を聞くと、ほっとしたような顔をした。
「よかった。あなたに見ていただきたいものがあるんです」
それから少年は、やわらかい布に包まれたなにかを鞄から取り出した。
僕はそれを見て、思わず声をもらした。
「これは……ひどい」
それは錆びに錆びた、ペティナイフだった。
刃の部分も傷んでいるけれど、柄(え)の部分も相当ひどい。日常に使っているだけなら、ここまで傷んだりはしないだろう。
僕は少年にたずねた。
「このペティナイフは、あなたのものですか?」
「僕は、ユーマと言います。……じつは、それ、拾いものなんです」
「拾いもの……ですか」
僕は、ユーマくんのその言葉に違和感を覚えた。
ユーマくんはすぐにそれを察したようで、すこしうつむきながら言った。
「お察しのとおり、僕は目が見えません。でもその代わり、耳は人よりもいいと思います。
僕は自然の音を聞くことが好きで、よく海や森に行くんですが……、このあいだ、森に行ったときに、泣き声を聞いたんです」
「泣き声?」
「はい」
ユーマくんはうなずいた。
「その泣き声の主(ぬし)を探していて見つけたのが、このナイフでした」
僕は思わず、椅子に座っているクゼさんをふり返った。クゼさんはほうきをふって、遊んでいた。
……クゼさんは喋るし、人のすがたをしているけれど、牛刀だ。
もしかすると、このナイフにもそういったなにかが宿っているのかもしれない。
ユーマくんは続けた。
「頭がおかしいと、思われるかもしれません。でも僕には、このナイフが泣いているように聞こえました。
そしてそれがあまりにも悲しそうな泣き声だったので、つい拾ってしまって……」
「その声、いまでも聞こえているんですか?」
僕がたずねると、ユーマくんは首を横にふった。
「それが、このお店に入ってから、ぴたりと止まってしまって。……あの、このナイフを修理してもらうことはできませんか?」
僕はふたたび、ユーマくんの持ってきたペティナイフに視線を落とした。
森で雨ざらしになっていたナイフというなら、この傷みかたもうなずける。
「刃の部分は、なんとかできると思います。でも、柄の部分は取り替えないといけないので、時間がかかりそうです」
「どれだけ時間がかかっても、待ちます。……それで、このナイフが泣かずにすむようになるのなら」
ユーマくんがナイフをやさしくなでるのを見て、僕はうなずいた。
「わかりました。それでは一週間、時間をください。かならずこのナイフを蘇らせてみせます」