あくる日の朝。
いつもはしずかな店のまえの通りが、今朝はさわがしかった。
僕は陰鬱(いんうつ)な気分で、研ぎ場の椅子に座っていた。
「……クゼさん、僕、今日は店のそとに出たくないです」
「なにを引きこもりのようなことを言っているんですか」
クゼさんが腰に手を当てた。
「だいじょうぶですよ。君の想像しているような最悪なできごとは、たぶん起こっていませんから」
「……え」
僕がおどろいて顔をあげると、クゼさんはあきれたように目をすがめていた。
「第一、なにかが起こったときには、相手が人ならまず、悲鳴をあげますよ。……ぐっすり寝ているところを襲えば、またちがうかもしれませんが」
「や、やめてくださいよ! ……でも、最悪なできごとは、……ほんとうに起きていないんですか?」
「ごらんなさい」
クゼさんが窓ぎわに立って、服屋を指で示した。
僕が背のびをしながら服屋のまえの人だかりを確認すると、そこにはあの、服屋の娘のすがたがあった。
服屋の娘は野次馬(やじうま)たちと、なにやら話をしているようだった。
「……無事ですね、よかった……」
僕は彼女のすがたをひと目見て、ひどく安堵した。
きのうのあの物騒な音のせいで、僕は彼女が、てっきり事件に巻きこまれ、ケガでも負ったものだとばかり思っていたのだ。
「どうやら、さすがに考えすぎだったようですね……」
そのとき、刃物屋の店の扉が開いた。
入ってきたのは、僕の知り合いの女性、マツリさんだった。
「おはようございます。こんなのどかな町で、事件が起こるなんて……、刃物屋さんはだいじょうぶでしたか?」
「えっと、それがまだ、なにが起きたのか知らなくて。いったいなにがあったんです?」
僕がたずねると、マツリさんが教えてくれた。
「あちらの服屋さんに泥棒が入ったらしいんですの。
なんでも夜なかのうちに、店の扉の鍵が鉈のようなもので壊されたとか……、服屋のご主人が今朝、店に来て気がついたんですって」
「鉈……」
服屋に鉈とくれば、どう考えても、犯人はギスケさんだ。
でも、ギスケさんがどうしてそんなことをしたのか、僕には理由がわからなかった。
「それで、いったいなにが盗まれたんです?」
「それが……、ふしぎなことに、お金や服は、なにも盗まれていなくて……」
マツリさんが言った。
「盗まれたものは、ひとつだけだったそうですわ。それは店先に飾られていた、……『マネキン人形』だったんですって」
あ然としている僕のとなりで、クゼさんがククク、と笑った。
「……どうやら彼は、『想い人』を店のそとに連れ出すことに、みごと成功したようですね」
おわり
2017/04/20 擱筆、公開
2018/11/06 加筆修正、レイアウト変更