7月7日(--) 32時12分(f)


短い呼び出し音のあとに、緋色はすぐに電話に出た。

『……もしもし?』
「僕だ。いま、ひとりになった。みずき……、もうひとりの女の子は、少なくとも二十分くらいは、もどってこないと思う」
『ねえ、あおちゃん』

緋色は、どこかあせった声で、言った。

『いますぐ私のところに来て』
「え? それはいいけれど、どちらにしてもみずきがもどってきてから……」
『だめ!』

緋色が、わずかに声を荒げた。

『ぜったいにだめ。村崎みずきからいますぐ離れて! お願い』
「じゃあ、彼女ひとりをここに置いていけ、っていうのか?」

僕には緋色の言っていることが、理解できなかった。

「どういうことか説明してもらわないと、納得できない」

緋色はしばらくのあいだ黙っていたけれど、やがて小さな声で言った。

『説明するには、時間が足りないの。あおちゃん、なにも聞かずに探偵事務所にひとりで来て。約束だよ』
「ちょっと待っ……」

通話はそこで、またしても一方的に切られてしまった。

……意味がわからない。

あの日……、といってもこちらの世界では『きのう』、だれもいない池袋で、カギのかかっていた事務所を思い出す。
……あのときも、すでに緋色は事務所のなかにいたのだろうか。

……それならどうして、応えてくれなかった?

僕はみずきのベッドに腰をかけた。僕のベッドとはちがい、ふかふかで弾力があった。
思わずそのベッドに身を投げ出して、大の字になる。

わずかにみずきのにおいが残っている。あまくて、心地いいにおいだ。
しばらくベッドに横になってうつらうつらしていると、 部屋の扉がぎい、と開く音がしたので、僕はあわてて上半身を起こした。

「お待たせしました、蒼太さん」
「あ、うん、おかえ……」

なにげなくみずきに視線を向け、思わず僕はせきこんだ。
みずきはなんと、バスタオルを一枚巻いただけのすがただった。

まだぬれている髪に、シャワーの熱のせいか、すこし赤味を帯びた頬。

たぶん、僕はぽかんと口を開けていたことだろう。
とっさにつばをのみこみ、ゆっくりと落ち着いて、慎重にたずねる。

「……ど、どうしたんだ?」
「蒼太さん」

みずきがこちらへ歩いてくる。
そしてベッドの上に腰かけたままだった僕のとなりに、すっと腰を下ろした。

「私、この世界で蒼太さんに会えて、ほんとうによかったと思っています」

彼女は熱のこもった口調でそう言った。

「私ひとりでは、きっとたえられませんでした……」

とてもではないが、僕はみずきの顔を直視できなかった。
みずきは続けた。


「あなたのことが好きです、蒼太さん」


胸の奥が、ざわざわした。

彼女はぎゅっと、太ももの上で、こぶしをにぎりしめている。
はじめて僕たちが出会った時と同じように、その手は震えていた。

「うそでいいんです。いまだけのうそでいいから、……私のことが好きだ、……って、言ってくださいませんか」

バスタオルをへだてて、となり合わせの彼女の体温を感じる。

いつものみずきとはちがう、
洗い立ての、かすかなシャンプーのにおい。

僕は彼女のその細い肩をこわごわと抱いた。
触れた彼女の肌は、まだしっとりとぬれていた。

僕はもう片方の手で、彼女の頭を僕の体へと引き寄せた。

もうむりだ。どうにでもなれ。
僕は、彼女の耳もとでささやいた。


「好きだよ、みずき」


僕なんて死んでしまえ、と思った。
思いながら僕は、

彼女の顔を僕に向けさせ、彼女のくちびるを奪った。