──人間が生きていける暑さじゃない。
8月の猛暑日。
伊久間封太(いくま・ふうた)は、冷房の効いた書店の窓から見える、街中の暑苦しさにほとほとげんなりしていた。
行き交う人々はだれもが汗だくで、見ているとこちらまで身が灼(や)かれそうだ。
暑さ寒さに関わらず、できることなら自分の部屋から一生出たくないと、封太は常々思っていた。
欲しいものは通販で手に入れ、食事は出前。
一日中パソコンを弄(もてあそ)び、寝たいときに眠る……
「そんな人生に憧れてFXに手を出したのに、早々に失敗するとは……」
自嘲気味に力なく笑う。
FXとは、ある国の通貨を別の国の通貨に交換しながら、差額分の利益を得ることを目的とする取引のことだ。
FXの口座は18歳から開設できる。
事前に何度もシミュレートし、封太はたしかな手応えを感じていた。しかし。
「……あのとき、最後の損切りを躊躇(ちゅうちょ)したのが命取りだったな……」
最初は少額だった。失った利益を取りもどすため、早々に借金をした。
しかしまっとうな消費者金融では、金を借りられるのは基本的に20歳以上。そこで現在19歳の封太は、あろうことかヤミ金に手を出してしまったのだった。
──そのうえで、今度はしっかりと負けた。
(見通しが甘かった。すぐに返せると思っていたのに)
ヤミ金に早めに金を返さないとどれだけ大変なことになるかは、さすがの封太でも想像はつく。
そこで封太は、借金返済のために身の回りのものを泣く泣くフリマアプリに出品しては、せっせと商品を発送する日々を送っているのだった。
いまも、いくつかの商品を発送した帰りだった。
しかし、乗ってきたスクーターを停めた場所にもどるまえに力尽き、いまはこうして書店で涼んでいる。
封太はフードのついた黒いケープに、袖の長いブラウスを着ていた。
肌という肌を隠し、外気に触れている部分は顔しかない。
夏にしては異様な格好だが、スクーターを乗るには肌の露出は少ないほうがいい。
灼熱の太陽にさらされたスクーターの表面やシートに触れれば火傷するほどに熱いし、万が一転んでも大惨事だ。
そしてなにより、封太は自分の真っ白な肌を人に見られたくなかった。
ほとんど日光に当たらない生活をしているため、封太の肌は弱々しく青白い。そして封太は自分が引きこもりであることを負い目に感じていた。
そもそもスクーターを購入したのも、外に出かけたかったからではない。
移動が面倒だからという物ぐさな理由からだった。
ピロン、と小さな通知音がポケットから聞こえた。
スマートフォンを取り出すと一件の通知。どうやらまた商品がひとつ売れたらしい。
「家のパソコンで返信しよう。スマホからだと『仕事』をしている感じがイマイチしないし」
図々しくも封太はフリマアプリでの取引のことを「仕事」と呼んでいるが、実のところはただの無職である。
書店の冷気は名残惜しいが、封太は家へ帰るために勇気を出して外に出た。
とたん、もわっとした熱気に包まれる。
封太は顔をしかめながら、足早にスクーターの場所へと向かう。
スクーターを停めた場所はここからすぐ近くの木かげだ。
駐輪場に停めたいのは山々だが、こんな炎天下に放置したら地獄を見ることになる。それに、都内ではスクーター1台停めるにも、高い金をとられるのだ。
それほど歩くこともなく、封太のスクーターはすぐに見つかった。
それと同時に、なにやら右のハンドルに黄色のシールが貼られていることに気がついた。
『駐車違反』
無慈悲な四文字。
ほかにも「放置車両を確認」だの「すみやかに移動してください」だのいろいろと書いてあったが、とにかくその黄色のシールが意味するところはひとつだ。
──それは警察署に行って違反金を支払わなければいけない、ということ。
「き、今日のフリマ分の稼ぎがぁ……っ!」
封太は膝から崩れ落ちた。