約束(b)


……キィ、とブランコが軋んで、止まった。
もちろん、穂坂さんが止めたのだ。

「……紺君のことは、どうやって見つけたの?」
「僕のマフラーは学校でなくなった。つまり少なくとも学校の関係者、おそらくは生徒の犯行だ。 生徒は車を運転できない。でも、徒歩で紺を連れ回すには、目立ちすぎる。だから、移動手段はバスだろう、と考えた。 いくつかの停留所をめぐっていたら、当たりだったわけだ」

事実はすこしちがう。
そもそも僕は自分のマフラーがなくなっていたということと、誘拐との関連性を、あのときはすぐに見いだすことができなかった。

それらのことにいち早く気がついたのは、翠だ。
しかし、この穂坂さんのまえで翠の名前を出すような、おろかな真似はもうできない。

現に、穂坂さんは翠への逆恨みで、紺のことを誘拐までしてみせたのだから。

穂坂さんの家は、古山高等学校のすぐ近く。
児童館で紺をバスに乗せ、どこかの停留所に紺を置き、自分は古山高等学校前の停留所へと帰ってくる。
それが一番人目につかず、効率的な誘拐の手段だったのだ。

「結局紺は無事だったわけだし、僕は穂坂さんのことを責めるつもりはないよ。 ……でも、どうしてここまでのことをしたのかだけ、聞いてもいいかな?」

穂坂さんは立ち上がって、自分の鞄のふたを開けた。

そこから出てきたのは、鳶色のマフラー。
何の変哲もない、見慣れた僕のマフラーだった。

「……今日、学校でこっそり返そうと思ったんだけれど、もうその必要もなくなったから、今返すね」

そうして穂坂さんは僕にマフラーを押しつけると、下を向いた。

「私も、どうして自分がこんななのか、わからない。 どうしてこんなに、自分をおさえられないの? 頭ではわかっているのに、こころが全然コントロールできないの」

穂坂さんは、顔を両手で覆った。

「愛されることが当たりまえのような顔をしている、鬼無里さんが憎かった。 たまたま人よりも頭が良く生まれたってだけで、こんなに住む世界がちがうなんて、不公平じゃない。 私だって、なんでもいい、なにかの才能が欲しかった。その才能で、ちやほやされたかった!」

穂坂さんの気持ちが、僕には手に取るようにわかった。

翠やオワルを見ているときの、言いようのない疎外感。
彼女たちを自己嫌悪の道具として使うことへの、自己嫌悪。

「私は勇気を出して、葵君に告白した! でも、葵君のこころは鬼無里さんのことばかり追いかけている。 鬼無里さんは葵君に、なにかした? 振り向いてもらえるだけの努力をしたの?  そんなこと、するはずない! 優位に生まれてきた彼女には、努力なんてする必要もなかったんだから……っ!」

穂坂さん。
……僕たちは似た者同士だ。

僕たちは普通に生まれてきてしまった、ごく普通の人間なのに、 たまたま強い光が近くに現れたせいで、闇が濃くなってしまったんだ。

愛されていないと、他人が自分より不幸でいないと、
安心できない、哀れで、弱い人間。

「僕は、穂坂さんの気持ちがわかるよ」

なんて愛しいんだろう。

僕のようなきみ。
きみのような、僕。

「今まで悪かった。僕がきみを、僕の一生をかけて、しあわせにする」

僕は穂坂さんを抱き寄せた。
穂坂さんは驚いて、涙の浮かぶ目で僕を見上げた。

「……ほんとう? 信じていいの?」
「もちろん」
「……じゃあ、私の名前を呼んでみて」

僕は笑った。
なにも愉快なことなんてないはずなのに、ほんとうに、おかしかった。

きみをしあわせにするために。
僕はきみに嘘をつこう。

「……千代。僕はきみのことが好きだ。一緒にしあわせになろう」

……だってそれが、
『きみ』との約束なんだから。